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曹洞宗
吉国山 龍華院

龍華院の略由緒
本尊は釈迦如来、本尊胎内仏として弥勒菩薩(鎌倉時代の作)、両脇には文殊菩薩、普賢菩薩である。前身は真言宗前附山大祥寺と言い、弘法大師が大同元年(806年)に草創したと伝えられている。
その後衰微していたところを、今の地に移して再興され、笛吹市一宮町の広厳院開祖雲袖禅師の法嗣である桂節宗昌禅師が招請され開山第一祖となり、嘉吉元年(1441年)に寺号が曹洞宗龍華院と改められた。
天正十年(1582年)三月三日、徳川家康が当院に宿陣した折、寺号を聞いて言うには、「入国当初の吉祥なり、龍は雲を得て遍く国土を潤すものなり」と。この時の住持五世愚庵和尚は家康に拝謁し、吉國山の山号、禁制朱印状、寺領の御判物を賜った。
境内に蟠龍池(枯山水)、独鈷水、旧間門坂に梵字石がある。寺宝に小野道風真筆の般若心経一巻、釋迦涅槃像(寛政年間)、大般若経六百巻、曹洞宗中興の祖と仰がれる月舟宗胡禅師直筆の本堂額「蒼龍窟」がある。
末寺は現在三十五ヶ寺、甲斐百八霊場第四十六番、甲斐国八十八霊場第二十三番札所である。
境内案内
龍華院の宝物
![]() ご本尊 釈迦牟尼佛如来 及び文殊・普賢菩薩像 | ![]() ご本尊胎内仏 弥勒菩薩像 (伝 鎌倉時代作) |
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![]() 釈迦涅槃像 (伝寛政年間) | ![]() 徳川家康「禁制」 (天平10年:1582年) |
![]() 慶長四奉行「禁制」 (慶長11年:1605年) | ![]() 小野道風真筆「般若心経」 (中道町文化財指定) |
![]() 尾形光琳画 | ![]() 本額堂「蒼龍窟」 (月舟宗胡禅師筆) |
季節の表情











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